四季折々(日々彦・詩歌の記録)

主に俳句、付随して詩歌などの記録

◎わたしと俳句、大畑等さんのことなど

※昨年(2021)まで【四季折々(日々彦の文芸欄)】で俳句や日録を掲載公開していましたが、個人的なことが多くあり、公開設定を「自分のみ」にしました。愛読していた読者からの要望もあり、新たに今年(2022)から【四季折々(日々彦・詩歌の記録))をつくり、「公開設定」にしました。それまでブログに発表していた韻文関連の記事もここにまとめて再度掲載する予定です。今後もよろしくお願いいたします。なお、「日々彦」というのはわたしの俳号です。

 

〇私と俳句について
 2016年1月、俳人大畑等さんが急逝された。直接お会いしたことはないが、その励ましを受けて現代俳句協会会員になった経緯があり、またその俳句にも不思議な魅力を覚えていた。

 

 私が俳句をつくりはじめたのは、鈴鹿市の養護学校に関わっているときである。病院併設型の筋ジストロフィー症や肢体不自由児が多くいる養護学校で、ボランティアグループを立ち上げ、要請を受けて非常勤講師もしていた。かれこれ10年以上前になる。

 

 その学校の高等部に70歳を過ぎたKさんが入学していて、何かと私が担当になって共に動くことが多かった。Kさんは、とても知的好奇心が旺盛で勉強がしたくて病院から通っていた。俳句や俳画をたしなんでいて、学校の生徒たちと俳句クラブを作っていて、文化祭などに発表していた。生徒たちも短い詩の形で、感じたことなどを発信できることもあり楽しんでいたようだ。
 それらのことがきっかけになり私も俳句をつくるようになる。

 

 初心者にとっては、句会に参加することが俳句作りの励みになることを思い、公民館の俳句教室に参加するようになる。平均の年齢は高いが、皆さん熱心で、個性も豊かで、気持の落ち着く句会であった。

 

 毎回5句を提出し、互選をし、講師の総評がある。選句と発表は、これは誰だろうと考えながらする時もあり、感心したり、よく分からなかったりするが楽しい時間である。自分では密かに「これはなかなかいい句だぞ」と思っている句が全然取りあげられず、それほど力を入れていない句に点数が入ったりする。20人近くのメンバーが7句ずつ選ぶので、自分のも毎回少しは点が入る。選んだ理由を、それぞれ簡単に言うので、そんな風に思うのかなど、面白い。

 

 その後しばらくして、妻の90歳を超えた両親と暮らすようになり、養護学校や俳句教室とも別れることになる。出雲市に来てからは、句づくりもほとんどしなくなる。65歳になったのを契機にして、俳句をきちんと作っていこうと現代俳句協会のインターネット俳句会に参加した。毎月5句を投稿し(現在は3句)、千句以上の中から5句選ぶという仕組みだ。登録時に俳号の欄があり、昌彦を単純に崩した、日々彦にした。インターネット俳句会は原則未発表句なので、それに合わせて作るようなことが続いた。

 

 1年後に、現代俳句協会のIT部長を務められていた大畑等氏からの御誘いを受けて会員になり、島根県現代俳句協会に所属したのが2015年である。それまで作句については気まぐれ的であったが、島根の会員との交流もあり、また、一昨年のブログを立ち上げてから、記事ごとに思い浮かんだものをつくるようにしていた。

 

 その後、義父母が亡くなり、神戸市に移住してからしばらく途絶えてしまった。
 今年になり日々の記録も含めて一日一句の句日記をつけていくことの抱負を立て、始めている。無理がないところの遊び心でしていこうと思っている。

 

※大畑等さん(2016年1月10日逝去、享年65歳)の句から
・うしろから突き落とされて滝である
・国ひとつ滅ぶ音色のハーモニカ
・想像が遅れて流る熊野川

 

 五・七・五という詩形の中で、散文的な内容理解を断念し、内面から発することばをつないでいく創造力を感じていた。

※初出2017-01-30