四季折々(日々彦・詩歌の記録)

主に俳句、付随して詩歌などの記録

◎長田弘さんの死去に触れて、覚書

○「日常愛」に生きぬいた人
 今年の5月3日、詩人の長田弘さんが亡くなった。
「逝去の前日、毎日新聞のインタビューに応え、刊行されたばかりの『長田弘全詩集』(みすず書房)に託した思いを語った。これを集大成に半ば死を覚悟し、残された時間を自分のために使いたいとして、取材に応じてくれたのだろうか。【井上卓弥】毎日新聞5月17日の東京朝刊に記載された。(デジタル毎日6月24日掲載より)」
 その記事からの抜粋。
【・「日常愛」とは何か。「それが生活様式への愛着です。大切な日常を崩壊させた戦争や災害の後、人は失われた日常に気づきます。平和とは、日常を取り戻すことです」。時折、声を詰まらせながらも、絞り出すように話し続けた。
・「戦争はこうして、私たちの生活様式を裏切っていきました。こういう確固とした日常への愛着を、まだずっと書き続けたかった。戦後70年の今、失われようとしているものがいかに大切かということを……」
別れ際、長田さんは「窓を開けると、風の音や誰かの声、新聞配達の音−−そういう日常が聞こえてくるんです」とつぶやいた。その口調は穏やかだった。】

 

 私はいろいろな方々やものに励まされ育てられてきた。その影響を受けたひとりに長田弘さんがいる。覚書として「生きる・語る・考える・疑う・編む」について少し記録しておく。

○「生きる」:長田さんは、人が生きるとはどういうことかと、繰り返し自分に問い、人に説いてきた。生きることにひたむきな姿勢で、深く静かに穏やかに見つめながら。人生とは一日一日を生きていくことだという、「日常性の維持」を大切にしていた。

・「この世で、人はほんの短い時間を、土の上で過ごすだけにすぎない。 仕事して、愛して、眠って、 ひょいと、ある日、姿を消すのだ、 人は、大きな樹のなかに。(『アメイジング・ツリー』より)

・「人という文字が、線ふたつからなるひとつの文字であるように、この世の誰の一日も、一人のものである、ただひとつきりの時間ではありません。一人の私の一日の時間は、いまここに在るわたし一人の時間であると同時に、この世を去った人が、いまここに遺していった時間でもあるのだということを考えます。 亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在る自分がこうしていま生きているのだという、不思議のありありとした感覚。心に近しく親しい人の死が後にのこるものの胸のうちに遺すのは、いつのときでも生の球根です。喪によって、人が発見するのは絆だからです。(『詩ふたつ』「あとがき」より)」

 

○「語る」:長田さんの詩は、生と死、日常の暮らし、自然や人との深い関わりなどを見つめ、自らに問い、嬉しさ、悲しみ、感謝。複雑な思いなどなど、深い思索を平易な言葉で綴っている。

・「『森の絵本』の主人公は、声です。声という『見えない』主人公に誘われて、心の森のなかに導かれて、静けさにじっと耳をかたむけよう。すると、きっと聞こえてきます。いつもいつも、ずっと探しもとめるものが。ことばが。ことばになろうとしていることばが。あるいは、けっしてことばにならないことばが。(『森の絵本』、『すべてきみに宛てた手紙』より)」

・「問いと答えと、いまあなたにとって必要なのはどっちですか。これだけはしないと、心に決めていることがありますか。 いちばんしたいことは何ですか。人生の材料は何だとおもいますか。 あなたにとって、あるいはあなたの知らない人びと、あなたを知らない人びとにとって、幸福って何だとおもいますか。 時代は言葉をないがしろにしている―― あなたは言葉を信じていますか。(『最初の質問』より)

 

○「考える」:過去の記憶、風景、旅、人との出会いを通して、日常的にそこにあるのに、私たちが見なくなってしまったものを、前提にとらわれないひたむきさで考える。生きていくなかで何を大切だと思うか。詩やエッセイを通して見つめ、考え続ける。

・「記憶は、過去のものではない。それは、すでに過ぎ去ったもののことではなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。とどまるのが記憶であり、じぶんのうちに確かにとどまって、じぶんの現在の土壌となってきたものは、記憶だ。記憶という土の中に種子を播いて、季節の中で手をかけてそだてることができなければ、言葉はなかなか実らない。じぶんの記憶をよく耕すこと。その記憶の庭にそだっていくものが、人生と呼ばれるものなのだと思う。思いをはせるのは、一人のわたしの時間と場所が、どのような記憶によって明るくされ、活かされてきたかということだ。(『記憶のつくり方』より)」

・「わたしたちの日々を確かにするものは、わたしたちがそのなかで生きて暮らす風景の感受であり、わたしたちが日常の在り方、生きてゆく心の在り方といったものを見さだめる手掛かりとしてきたものもまた、自分たちがそのなかで育った、あるいは育てられた風景です。 たとえ自分ではそうと思っていなくとも、じつは風景のなかで感じ、思い、考えるということが、わたしたちの日々の生き方の姿勢をつくっています。風景のなかに自覚的に自分を置いてみる。すると、さまざまなものがよく見えてくる、あるいは違って見えてくる。 (『大切な風景』より)」

 

○「疑う」:鶴見俊輔は長田弘の「成功は失敗のもと」という言葉を度々引用する。当たり前のようにとらえていることを、疑いを持ってとらえ返す視点も長田の純真ともいえる特質ではないだろうか。反対側から見ると、何もかも自明のはずの世界は違って見えてくる。

・「消点に身を置いて、こちらから向こうをでなく、向こうからこちらを見れば、すべてこの世の意味は方向が逆です。ピアスにとって、物語るとは、端初から当然の結末にいたることではなく、結末から意外な端初にいたることでした。  

 考えるとは、前提があって当然の結論にゆきつくことではなく、前提はない、したがって当然の結論にゆきつくこともないとすすんで認めることです。(『本という不思議 』「悪魔の辞典をめぐる20章」より)」・「豊かになることは、貧しさを失うということですが、貧しさを失うとき、貧しさのなかにあってそれまで保たれていた社会の文化のありようが見失われるというような事態がしょっちゅう起きる。豊かさをいうとき、尺度とされるのはたとえば成功がそうでしょうが、成功がすなわち文化を生むというわけじゃない。成功は個人の所有の増大ですが、文化というのは富みによって所有されるというのではなくて、むしろどんな成功によってもけっして占有されえないのが文化ですね。貧しい社会が貧しい文化しかもたないというのがまちがっているように、豊かな社会がかならずしも豊かな文化をもつとはかぎらない。というより、逆に、富がとんでもない凡庸さを社会にみちびいて、富がかえって文化の貧しいありようを社会にもたらすことだって、しばしばですね。(長田弘 鶴見俊輔『旅の話』より)

 

○「編む」:長田さんの詩やエッセイは、不特定多数のだれかではなくて、わたしへ、あなたへ、子ども、大人、お年寄りの一人ひとりへ、直接語りかけているように思える。

・「詩集十八冊、詩篇四七一篇を一冊に収める『長田弘全詩集』を編んで気づいたことは、 時代を異にし、それぞれまったくちがって見えるそれぞれの詩集が、見えない根茎でたがいに つながり、むすばれ、のびて、こうして一つの生き方の物語としての、全詩集という結実に至ったのだという感懐でした。(『長田弘全詩集』「結び」の言葉)より」

・「書くというのは、二人称をつくりだす試みです。書くことは、そこにいない人にむかって書くという行為です。文字をつかって書くことは、目の前にいない人を、じぶんにとって無くてはならぬ存在に変えてゆくことです。この本に収められた手紙としてのエッセイは、いずれも、目の前にいない「きみ」に宛てた言葉として書かれました。手紙というかたちがそなえる親しみをもった言葉のあり方を、あらためて「きみ」とわたしのあいだにとりもどしたいというのがその動機でした。これらの言葉の宛て先である「きみ」が、あなたであればうれしいと思います。(『すべてきみに宛てた手紙』より)」

 

【参照資料・詩】
○長田弘『世界はうつくしいと』「なくてはならないもの」より)「なくてはならないもの」
なくてはならないものの話をしよう。
なくてはならないものなんてない。
いつもずっと、そう思ってきた。
所有できるものはいつか失われる。
なくてはならないものは、けっして
所有することのできないものだけなのだと。
日々の悦びをつくるのは、所有ではない。

草。水。土。雨。日の光。猫。
石。蛙。ユリ。空の青さ。道の遠く。
何一つ、わたしのものはない。
空気の澄みきった日の、午後の静けさ。
川面の輝き。草の繁り。樹影。
夕方の雲。鳥の影。夕星の瞬き。
特別なものなんてない。大切にしたい
(ありふれた)ものがあるだけだ。
素晴らしいものは、誰のものでもないものだ。
真夜中を過ぎて、昨日の続きの本を読む。
「風と砂塵のほかは、何も残らない」
砂漠の歴史の書には、そう記されている。

「すべての人の子はただ死ぬためにのみ
この世に生まれる。
人はこちらの扉から入って
あちらの扉から出てゆく。
人の呼吸の数は運命によって数えられている」
この世に在ることは、切ないのだ。
そうであればこそ、戦争を求めるものは、
なによりも日々の穏やかさを恐れる。
平和とは(平凡きわまりない)一日のことだ。
本を閉じて目を瞑る。
おやすみなさい。すると、
暗闇が音のない音楽のようにやってくる。
(長田弘『世界はうつくしいと』「なくてはならないもの」みすず書房 、2009) ※初出2015-06-25記