四季折々(日々彦・詩歌の記録)

主に俳句、付随して詩歌などの記録

◎池田澄子の俳句鑑賞(『池田澄子百句』『シリーズ自句自解Ⅰベスト100池田澄子』より)②

〇池田澄子 『シリーズ自句自解Ⅰベスト100池田澄子』(ふらんす堂 、2010)

 本書は自句自解も解説というよりは句にまつわるエッセイの趣があり、その句にまつわる背景や作句つくりの様子が明かされている。

 

★恋文の起承転転さくらんぼ

《十歳代後半からどっさり書いた、読み返すのも恥ずかしい恋文が物置に一箱ある。書かなくなってかなり経って俳句に逢った。俳句は恋文と同じ、いや恋文である。俳句形式を思うときも俳句を書くときも、心細くてココロ千々に乱れる。だから起承転結とはいかない。つれない詩形式・俳句に対し、またある時は、まだ見ぬこの世の景や、あの世の景に、そして未生の我が句に対し、つい躙り寄り言い募りたくなり、ココロも言葉も千々に乱れる。 (『空の庭』)》

 

 本書の最後に「俳句をつくるうえで大切なこと三つ」との短文がある。

  • 生き物の一例としての我を写生する。
  • 目の前の評価に阿ねない。
  • 読者は私の為にいるのではないと覚悟する。

 

 その短文の末尾で次のように述べる。

〈一句出来たときに、私はこういう句をつくることを試みていたんだなあ、と気づく、ということができればいいなあと思うんです。

 書いた結果、自分の無意識の部分に出会う、そして気づくということが出来たら、嬉しいと思いますねえ。〉

(2004年船団春の句会ライブ・講演より)

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※『シリーズ自句自解Ⅰベスト100池田澄子』の自句自解と、『池田澄子百句』 の読者の立場からの鑑賞を参照しつつ、いくつか印象に残った句から自分なりに述べてみる。

 ここでは、第三句集『ゆく舟』と第四句集『たましいの話』からみていく。

 

▼第三句集『ゆく舟』(2000年)六四歳

  句集は「考えると女で大人去年今年」で始まり、「南瓜に種おんなに為さぬ抱負あり」「良い月夜こころならずも腹がすく」「夕顔やまたも何かを食べねばならぬ」と生き物としての人を優しく句にする。

 この句集は三二九句のなかに十数句の戦争俳句がある。「路地に朝顔アメリカにエノラ・ゲイ」「TⅤ画面のバンザイ岬いつも夏」「八月十五日真幸く贅肉あり」「雁や父は海越えそれっきり」「皇居前広場や握れば雪は玉」などある。

 著者も父を戦争で失った恨みが書かせていると語っている。その恨みという強い言葉以上に強い思いが伝わってくる。

 

★青嵐神社があったので拝む

 青嵐とは青葉の茂るころに吹きわたるやや強い風。若々しく力強い感じがする季語である。それに吹かれながら青々と茂った樹々の奥にひっそりと静寂にたたずむ神社に、おもわず拝みたくなる。青嵐と神社の取り合わせに「動と静」の両極のエネルギーが交差する。

 自解で《「青嵐神社」とも読めるところが弱いかもしれない。摂津幸彦は堂々の立派な名前と錯覚させられるところが面白くもあったなどと句集評に書いてくださった。

 こういう場合少なくとも作者は、両方に読めることと、どちらを主と考えているかを、自覚していなければいけないだろう。》と述べる。

 

★青草をなるべく踏まぬように踏む

 踏青とは、春に新しく芽生えた青草を踏みながら野山に遊ぶことをいうが、「なるべく踏まぬように」の心映えが印象的。

 何事もなるべく慎重に歩んでゆきたいものであるとの意も思う。人生も。

 自解で《踏まないように気を付けながら踏んでしまうことと、何も思わずに踏んでしまうことと違う、と思っていいものだろうか。------結果に対しての罪や責任は同じじゃないのか。

 我ながら思いがけずに加害者になってしまうことが、少なからずある。思いがけずどころか、気づかずに加害者になっていることも少なくないに違いないのだ。》と語る。

 

★TⅤ画面のバンザイ岬いつも夏

 自解で《毎年目にするあの画像。見なくても、思えば胸がどきどきしてくる、あの事実。------あの人に来なかった、その後の秋、それ以後に生きて私たち、毎年あの日をテレビで見る。》と述べる。

 日本からわずか三時間半でいけるサイパン島は透き通った海水とサンゴ礁に囲まれたリゾート地で一年中ほぼ夏の南の島。その北端にあるのがバンザイ岬。

 第二次世界大戦中には旧日本軍司令部が置かれ、1944年6月~7月にかけてアメリカ軍との激しい戦いにより、追い詰められた日本兵や現地の人たちが80メートル下の海に身を投げた岬。多くの身投げをした人たちが「天皇陛下、万歳!」「大日本帝国、万歳!」と言って死んでいったことから、この名前がつけられた。

 

★気がゆるむと騒ぐたましい寒月光(下)

 自解の中で作者は感情の主要次元の緊張と弛緩について《一つの弛緩が一つの緊張に繋がったり、その逆もあったりする。緊張は一方の何かを無いものとする。しかし本当に無になるわけではないから、気がゆるむと、待ってましたと主張を再開するのである。》という。

 感情は快・不快,興奮・鎮静,緊張・弛緩の3つの方向ないし次元をもち,あらゆる感情はこの三次元空間内の一点に定位できるとする説で,ドイツの心理学者 W.ブントが唱えた。しかし多くの心理学者はこの説に賛成せず,快・不快の一次元説をとる。

 弛緩というのは心のゆるむこと、だらしなくなること。気がゆるむと自分の主義主張が強くなる。「寒月光」は騒ぐたましいをきりりと冷ましてくれそうだ。

 

 ★坐せば野の此処はわが席鳥渡る

 坐ったら、野の此処は私の席になるのだな。この広い世界のたまたま坐る私を許容してくれる野の寛ぎ。そこに、この地を選んで渡ってきている鳥と、同質に感じられる楽しさ。

 自解で《「此処はわが席」と思いさえすれば、大地は全てを受け入れてくれると感じることが出来る。》と述べる。

 大地とは、「人間や万物をはぐくむものとしての土地」で、そこをいのちあるものは、何らの境界も設けないで、自由に根付き、楽しく舞い、かつ囀っている。権利も主張しないし、義務も感じていないようだ。能力の秀れた知能を持っている人間が、なぜ囲いを厳重にし、権利・義務に縛られねばならないだろうか。

 

▼第四句集『たましいの話』(角川書店〈角川俳句叢書〉、2005年)六九歳

 あとがきに、《これから、私がどれだけの俳句を詠むことができるのか知るよしもないが、自分を眺めることで、人というものが何なのかを少しでも知りたい。この世の万象が何なのかをこの身に感じたい。万象の中で人間がどういう存在なのかを、俳句を書くことで知っていきたい。》と述べている。

 この間、二〇〇一年一二月一日、一九七七年に私淑を決め、後に師事をしてきた三橋敏雄が逝去された。その師を偲ぶ句も多く収められている。

 句集に「これからの冬の永さを畳の上」「敏雄逝き白泉忌すぎ三鬼の忌」「先生の逝去は一度夏百夜」などある。

 

★目覚めるといつも私が居て遺憾

 自解で《この句は、最も「遺憾」なものは何かと考えることから始まった。----耳にして違和感をもつ機会の多い言葉の一つである》と述べている。

 遺憾とは、一般には、期待通りではなく「不満だ」という意味で、期待したようにならずに、心残りに思うこと。残念であるという気持ちとともに相手への非難も含まれた言葉。

 イメージとして、私とは関係ありませんという意味合いを感じるが、ここは「私」が対象になっているのがアイロニカルである。

 私にとって熟睡のあと目覚めると、いつも「同じ自分」がいると思うのが不思議というか面白かった。

 私達の身体は、分子的に言うと日々刻々と入れ替わり続けているらしいが、意識としては変わらない自分がいる。意識」の特徴は「同じ」という「はたらき」である。寝て目が覚める。すると、「同じ自分」に戻ると「意識」する働きがある。毎日目を覚ますたびに、「わたしは一体誰なんだろうか?」とは思わない。常に、「同じ自分」に戻る。

 

★人類の旬(しゅん)の土偶のおっぱいよ

 自解で《あの土偶を見たのは随分前のことで、それからずっと何年もの間、あの土偶で一句作りたいと、時々思った。私の体全体が、いつ現れるか分からない「土偶」の句を待ち構えていた。》と述べる。

 そして『あさがや草紙』で《誰かが作った土偶が今、目の前にあることの不思議な気持ちが言葉にならないまま何年経っただろうか。------世の中に厭なニュースが飛び交う。人が人を騙す。人が人を殺す。人が地球を汚す。何故? とかなしんでいたら「人類の旬」の句が現われた》と書く。

 旬(しゅん)とは、物事を行なうのに最も適した時期。最も盛んな時期。

 土偶は縄文時代に作られ、日本各地から出土している土人形。乳房や妊婦をかたどったものが多いことから子孫繁栄、豊穣、再生を祈願するために作られたものと推定されているが本当の目的は現在も定かではない。そして、その多くが破壊されているのが最たる特徴。

 

★相談の結果今日から夏布団

 夫婦二人の生活が長いと、取り立ててじっくり話すことはあまりないが、季節の変化にたいする、身近な暮らしにまつわる洋服・かけぶとんの類は、どうするか話し合う。

 わたしの場合、「どちらでもいいよ」ということもあり、あなたの「どちらでもいいよ」は「やめたいのか、そうしたいのか」が分かり難いと言われたりする。

 自解で《折につけ思い出す俳句がある。自分の俳句なのに、思い出す句と、余り思い出さない句、それからきれいさっぱり忘れている句がある。

 掲句は毎年必ず思い出す。相談の結果、今日から夏布団にするという日が必ずあるからだ。自分で思い出して、よくまあ、こんなつまらないことを俳句にしたものだと、ちょっと自分を褒めてあげる。》と述べている。

 

★先生ありがとうございました冬日ひとつ

「先生ありがとうございました」という呼び掛けから始まる。今までの全てに対する感謝ゆえの過去形である。

 自解で《先生が亡くなったのは二〇〇一年一二月一日。-----

 何故か、先生は絶命された。私はお礼を申し上げる以外には何も考えられず、「ありがとうございました」と小さく声にして深くお辞儀をした。------

 気が付くと、美しい月の夜になっていた》と語る。

 お礼を申し上げる以外に何も考えられなかったその想いは「冬日ひとつ」に託された。

※初出2021-09-17記