四季折々(日々彦・詩歌の記録)

主に俳句、付随して詩歌などの記録

◎書評:『モーロク俳句ますます盛ん 俳句百年の遊び』

〇本書の目次は次のようになっている。

・ところで俳句そもそも

 (俳諧から俳句へ、俳句から俳諧へ/連衆いろいろ/俳句レッスン1から10)

・俳句百年、モーレツからモーロクまで

 (近代俳句小史/俳句・短歌の戦前まで/戦後俳句のゆくえ)

・ますます俳句いろいろ

 (俳句はどこへ?/モーロク俳句のススメー対談・上野千鶴子/漱石の時代俳句/話し言葉と書き言葉/犀星の、青春の手ざわり/わが俳句の師匠、柳田國男/寺山修司の俳句、変革の活力)

 

「ところで俳句そもそも」「俳句百年」では、俳諧の歴史から始まり、子規の俳句論、碧梧桐、虚子そして大正の俳人たち、自由律の動き、戦争下の新興俳句運動、戦後の俳句と俳人と、俳句の道筋をたどる作業が続く。そして戦後の俳人たちと「第二芸術論」との関わりをきめ細かく分析し、戦後俳句のゆくえを描く。

 

「俳句いろいろ」では、上野千鶴子との対談がおもしろい。

「わが俳句の師匠、柳田國男」は國男の死後の押しかけ弟子である坪内の國男論が語られる。

 

 柳田國男は言う。「俳諧は破格であり、また尋常に対する反抗であった。」「俳諧ばかりは旧臭いということ。凡庸だということが即ち絶望である」(『不幸なる芸術・笑いの本願』岩波文庫)

 

 これは坪内の俳句論でもあり、本書は本格俳句論の著作だ。

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〇「俳句とはなにか」について

「俳句とはなにか」というのは、いろいろな方が語っている。

 高浜虚子:俳句とは「客観写生」、「花鳥諷詠詩」である。俳句は存問(挨拶)の詩である。

 山本健吉:「俳句は滑稽なり。俳句は挨拶なり。俳句は即興なり」(俳句3ヶ条)

 桑原武夫(フランス文学研究者):「俳句というものは同好者だけが特殊世界を作りその中で楽しむ芸事。大家と素人の区別もつかぬ第二芸術に過ぎない。」

 などがよく知られている。

 わたしは坪内稔典の視点に共感している。

 坪内は俳句の本質を「口誦性」と「片言性」にあると捉え、俳論などでしばしば論じている。「口誦性」とは「簡単におぼえてどこででも口にできる」ことであり、「片言性」とは、ことわざなどと同じように短く、言い尽くせないということで、そのことによって却って読み手から多様な解釈を誘い出し、言葉の多義性を豊かに発揮できるのだとする。(ウイキペディアから)

 

 

 次に、「俳句レッスン1から10」の中から一部抜粋する。

 ▼レッスン9 老人俳句―なぜ老人は俳句を好むか

 かつてフランス文学者の桑原武夫は言った。「かかるものは、他に職業を有する老人や病人が余技とし、消閑の具とするにふさわしい」と。「かかるもの」は俳句だが、ほんとうにその通りだなあ、と思う。俳句はとても非生産的、金にならないし、名誉や地位にもあまり関係がない。こんなものは、非生産的なことに没頭できる老人がやるにふさわしい。(中略)

 

 なぜ、老人たちは俳句を好むのだろうか。思いつく理由を列挙すると、

 ①  作り易い。②金があまりかからない。③仲間ができる。④句会や吟行で出歩くので運動になる。⑤文化的な香りが少しする。⑥ぼけ防止になりそう。以上のようなことを思いつくが、厚労省が喜びそうなことばかり。

 

 もちろん、右に挙げたことは大事な要因だが、ほんとうは、言葉数が極端に少ないことが老人を引き寄せているのではないだろうか。ぐだぐだとたくさんの事を言いたくはない。自己主張もしたくない。そんな気分が、俳句に老人を引き寄せている。桑原先生には「第二芸術」と決めつけられたが、非生産性に徹したこの言葉遊びはやめられない。

 

 それに、鶴見俊輔は、ぼけて断片化した老人の言葉を、もしかしたら俳句は受け止め得る装置かもしれない、と述べている。(『家のなかの広場』一九八二年)

 

 たしかに、老いたことで、それまでとは違う不思議な言葉の世界を作る俳人たちがいる。

 

 天の川わたるお多福豆一列 加藤楸邨

 象を見て十月十日晴れにけり 星野麥丘人

 

 楸邨八十代、麥丘人七十代の作。非生産性きわまるこの言語空間は、なんとも伸びやかで愉快。

 

 ▼「レッスン10」では、俳人の条件を挙げている。

(要約)①無責任であること。俳句の世界は作品中心。どのように読まれるかが何よりも大事。この無責任さは、俳句形式そのものに由来している。五七五音の表現はどんなに厳密に表現したつもりでも、どこか片言的なまま。

 

②軽いこと。独断的に決めつけたり、人生をひたむきに、などというのは俳人に似合わない。

 

③遊び好きであること。他人からみたらほとんど意味のないこと、そんな小事というか無意味なことに没頭できるセンスが俳人の条件。

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「あとがき」で次のことを語る。

「俳句を作るとき、自分に課してきたことがある。作りながら、俳句とは日本語のどのような詩なのか、を考えること。------

 詩を作るとは、今までになかった言葉の風景、あるいはリズムの美しさを日本語の世界にもたらすことだ。」

 

 その上で、俳句史上三つの画期的な作品をあげる。

・古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉

・春の海終日のたりのたりかな 蕪村

・柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 子規

 

 そして次のことを述べる。

〈私もまた芭蕉や子規にならいたい。俳句を作るものとしては詩的な事件を引き起こしたいのである。それを起こすために、俳句とは何か、を考える。〉

 

・三月の甘納豆のうふふふふ

・水中の河馬が燃えます牡丹雪

・たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

・多分だが磯巾着は義理堅い

・雪が来るコントラバスに君はなれ

 

〈俳句とは何かを考えながらこういう句を作ったのである。あるいは、こういう句を作りながら、俳句とはどのような詩なのかを考えてきた。〉

 

「その一端が本書である」とし、『柿喰ふ子規の俳句作法』(岩波書店 2005年)『俳句的人間短歌的人間』(岩波書店 2000年)とともに、私の俳句論三部作をなすという。

 

参照:坪内稔典『モーロク俳句ますます盛ん―俳句百年の遊び』(岩波書店2009.12)

※初出2021-10-02記