四季折々(日々彦・詩歌の記録)

主に俳句、付随して詩歌などの記録

◎さだまさし『いのちの理由』と吉野弘の詩「生命(いのち)は」

〇二人目の孫の出産で、何人から、お祝いの言葉をいただきました。

 

 その中に、娘と同期の親御さんがいて、丁寧なお便りがあり、《娘は、彼女らしく変わらない面と、年齢とともに成長してどんどん変わっていく面があります。誰でもそうでしょうね。それなので、あたたかく気長に見ていくことが大事だと思います。》などと交信が続きました。

 

 その後、その友人の娘さん、私の娘とは学園の同期生から、親御さんを通して、さだまさしの『いのちの理由』の動画の紹介があり、さっそく妻と聴きました。

 

 何かで聞いたことはありますが、孫の誕生のすぐ後でこうして聴くと、いい樂曲だなと改めて思いました。

 

 歌詞は、「わけ」(道理)と「ため」(理由)の繰り返しの、平易なフレーズですが、さだの歌声で、しみじみ伝わってくるものがありました。

 

「歌は世につれ人につれ」などといいますが、それに触れる一人ひとりの状況によって、より生き生きと心にしみるのでしょう。

 

 これは、宗祖法然上人800年大遠忌記念の「法然共生(ともいき)イメージソング」として浄土宗から依頼されて書き下ろした楽曲で、さだまさしのアルバム『美しい朝』(2009年)に収録されているそうです。

 

【いのちの理由・さだまさし】

https://youtu.be/ZIXN6QItDK8

  

★さだまさし『いのちの理由』

 

私が生まれてきた訳は

父と母とに出逢うため

私が生まれてきた訳は

きょうだいたちに出逢うため

私が生まれてきた訳は

友達みんなに出逢うため

私が生まれてきた訳は

愛しいあなたに出逢うため

 

春来れば 花 自ずから咲くように

秋くれば 葉は 自ずから散るように

幸せになるために 誰もが生まれてきたんだよ

悲しみの花の後からは 喜びの実が 実るように

 

私が生まれてきた訳は

どこかの誰かを 傷つけて

私が生まれてきた訳は

どこかの誰かに 傷ついて

私が生まれてきた訳は

どこかの誰かに 救われて

私が生まれてきた訳は

どこかの誰かを 救うため

 

夜が来て 闇 自ずから染みるよう

朝が来て 光 自ずから照らすよう

幸せになるために 誰もが生きているんだよ

悲しみの海の向こうから 喜びが満ちて来るように

 

私が生まれてきた訳は

愛しいあなたに出逢うため

私が生まれてきた訳は

愛しいあなたを守るため

                ☆

 

「いのち」については、吉野弘の詩「生命(いのち)は」を思い出す。

★吉野弘「生命(いのち)は」
生命は
自分自身だけでは完結できないよう
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

 

世界は多分 他者の総和
しかし 互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず 知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように 世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

 

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

 

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

 

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない
(『吉野弘詩集』ハルキ文庫、1999年より) 

※初出2020-09-07記