四季折々(日々彦・詩歌の記録)

主に俳句、付随して詩歌などの記録

◎「老い」と「しなやかな心」(天野忠詩集より)

〇わたしの現状

 一昨年診断された脊髄小脳変性症の進行は、ますますひどくなりギクシャク度は増していて、ふらつきも頻度を増している。

 居宅では何とか一人で動いているが、妻の支えなしには外出もままならない状態だ。

 

 肺機能が悪いのでコロナウイルスの感染症に対する不安はあるが、そうなったらそうなるだけと悟っているわけではないが、心配するのはつまらないと思っている。

 

 73歳まで生きてきたというか、生かされてここまできたともいえる。

 気にしていてもよくなることは望めないし、健やかな心で今やれることを大事にしながら明るく暮らしていこうと思っている。

  

 わたしにとって「ああーいいな!」と思う老いの姿を巧みに描いた詩人に天野忠がいる。

 

 身の回りを鋭く観察して生まれた親しみやすい諧謔に満ちた作品が多く、澄んだ視線で老いをとらえる。

 

 「老い」や「病」を考えるときに天野忠のような視線は大事にしたいと思う。

 魅力ある数多の詩の中から、三つの詩集から六編取り上げる。

         ☆

 

〇「動物園の珍しい動物」より

・「あーあ」

最後に

あーあというて人は死ぬ

生まれたときも

あーあというた

いろいろなことを覚えて

長いこと人はかけずりまわる

それから死ぬ

わたしも死ぬときは

あーあというであろう

あんまりなんにもしなかったので

はずかしそうに

あーあというであろう。

(「クラスト氏のいんきな唄」(文童社 1961)「動物園の珍しい動物」改題)

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〇天野忠『長い夜の牧歌ー老いについての50片』から

・「考えごと」

ねながら

人生について考えていたら

額に

蠅がとまった。

 

長いこと休んでいて

それから

パッと

元気よく飛び立った。

 

どうやら考えがまとまったらしい。

 

俺はまだだ。

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・「覚悟」

真剣勝負せねばならんとしだなあ/この世の瀬戸際まできたんだから。

つくづく、じいさんはそう思う。

 

しかし/その真剣が見つからん・・・・

誰と勝負だって? /ばあさんが台所でひょいと顔をあげる。

昨日年金を貰ったので/今夜は久しぶりにうなぎである。

特上のその次のを/エイッと張りこんだ。

誰と勝負するのか/じいさんはまだ思案している。  

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・「空間について」

金属も

疲労する。

空から

飛行機が落ちてくる。

 

もちろん

人間をや。

人の間から

人が落ちる。

 

空と

間が

残る―

※天野忠『長い夜の牧歌 ー老いについての50片』(書肆山田、1987)

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 天野忠の詩は平易な言葉を使ったシンプルな表現で、人間味を感じさせながら、泰然としていているようでもあり、且つユーモラスである。

 

「自身」を巡る言葉はどちらかと言えば情けなく、情けない世界に寄り添い、それから俯瞰し、批評的な視点、「しなやかな心」など感じる。

 

「高齢」や「病」とともに身体が衰えるのは仕方がない面もあるが、「しなやかな心」は、健やかに生きる要点かも知れない。

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〇天野忠詩集『うぐいすの練習』より

・「歩く人」

私のからだはずいぶん老化してきて

このごろは足の下から痺れてきて

金縛りにあっているようで

力がごっそり抜き取られてしまいました。

よろよろと杖にすがって、休み休み

すこしずつやっと歩いている始末です。

七十九歳になりました。

そういえば

これまでの私の生き方もまた今と変らず

ほんとうによちよちと覚束ないものでした。

お先は真っ暗で

頭を低うして、いつも

そっとあたりをうかがうようにして

曖昧模糊として

目立たないその他大勢の通行人の一人として

ただうろうろと貧しく

乏しい餌を拾って

何とまあ

頼りなげに歩いてきたことか――

今日も杖にすがって

やっと百米ほども歩いて

そのへんの柵や垣根や電柱にしがみついたりして

何度も何度も心細い足を休め、いたわりながら

そのたびに重たい疲れた吐息を吐きだした。

人通りの少ないさびれた小公園の

木漏れ陽の下のベンチで一服しながら

まだも少し

も少し

何か物欲しげな

そんな

顔をして、衰えた視力で

あたりを見ているのですが――

ぼそりと歩いているのですが――

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・「老衰」

十二月二十八日正午一寸前。

生まれて初めて へた、へた、へた、と 私は大地にへたばった。

両手をついて /足の膝から下が消えて行くのを見た。

七十八歳の年の暮れ。

スキップして遊んでいる子供がチラとこちらを見た。

走って行った家から人が出てきて

大地にしがみついている私を 抱き起こした。/「どうしました」

冷静に /私は答えた。/「足が逃げました」 

※天野忠遺稿詩集『うぐいすの練習』(編集工房ノア 1998)

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  これは遺稿詩集として、最期の詩集ということだ。(天野忠生没1909年~ 1993年)

 

 晩年になるにつれ、表現に凄みが出てきているように思う。「老」としてのギクシャクを鋭く観察して生まれた親しみやすい諧謔に満ちた作品が多い。

 

 次のエピソードも好きだ。

〈ある時、南禅寺の庭を前に、「江戸っ子気質」の学匠詩人西脇順三郎に向かって、京都の地方詩人(ローカルポエット)天野忠が言った言葉が振るっている。

「庭は便所の窓からみるのがよろしいな。庭がゆだんしてますさかいに」〉

(出典:大野新『砂漠の椅子』1977編集工房ノア 刊)

※初出2021-02-04記