四季折々(日々彦・詩歌の記録)

主に俳句、付随して詩歌などの記録

◎古山高麗雄『日本好戦詩集』を読んで

〇複眼的戦争論

 古山高麗雄『日本好戦詩集』(『季刊藝術』1979年冬号)は、『季刊藝術』の編集長として、また作家として活動していた58歳のときの自伝的短編小説である。

 

 自分で自分が腐ってしまうような日常をつくっている主人公が、自炊をはじめて、ときどき30年以上前の戦時中の雲南の山の中での食物を思い出す。
深夜マーケットに行って、頭の中で雲南戦線に携行すべき物品を選んでいたこともあり、ビルマで空き缶を一つ入手したときの充足感のことなどかえりみて、私の戦後は終わっていない。戦争の悲惨を懐かしがっているようだと思う。

 

 石坂洋次郎の「石中先生行状記」に出てくる“民主主義使い”の言葉から、彼は反戦運動家を「反戦使い」の人、「運動使い」の人と呼んでいる。実は“使い”の人たちも戦争を懐かしがっているのではあるまいか。と疑っている。

 

・「“使い”などと気勢を殺ぐようなことを言うと、“反戦使い”の人は、私を反動と言って非難するだろうか。しかし反戦は好戦と共存し、しばしば反戦は好戦であったりするのではあるまいか。」

 

・「戦争を知らない世代の人々に、戦争の真の悲惨と平和の真の尊さをわかってもらうために、実体をしっかり語り継がなければならない。と言う人がいるが、“反戦使い”の人の戦争の話は、弾み過ぎて、なかなか実体をしっかりとは語り継げないのではあるまいか。」

 

 あの戦争を経験したものにとっては、あの途方もない狂気、劇的な事件、悪事のかずかず、スリル、僥倖、絶望などなど、それは稀有のものであり、話をする気になれば弾むにちがいないと思っている。

 

・「“反戦使い”には、戦争を経験した人ばかりではなく、いわゆる、戦争を知らない子供たちも多いようだが、戦後にうまれて、懐旧の情をいだきようもない人たちの反戦唱和は、どういうことなのだろうか、戦争を知らない子供たちも、戦争を知っている子供たちと同じように、いつか、大人たちにしてやられたと言いだすのではあるまいか。」

 

 この主人公に、時折手紙を交流している吉田嘉吉さんが手作りの『日本好戦詩集』をおくってくる。


 その添書には「あの大戦争を支えていたのは、日本の百姓(国民の七割ぐらいが百姓)、それも百姓の貧しさが支えていたように思われます。誰も最近はそんな事を言わなくなり、軍部にひきずられて戦争になったと今の子供達は習うそうですが、そんなものでもありますまい。今更ヘンな題をつけて誤解されそうですが、戦後は反戦主義者が多いのも気になります。」と書いていた。

 

 戦争中に吉田嘉吉の書いた『ガダルカナル戦詩集』は、戦時中には愛国心が発揚されているとされ、戦後には『日本反戦詩集』に取り上げられ、両方から評価を受けた。


 主人公は、「吉田さんの詩は好戦でも反戦でもなく,且つ好戦でも反戦でもあるのだ。」
「反戦」か「好戦」か、でしかものを考えない人に、その「好戦詩」を紹介したい。と言い文中に4篇紹介している。

 

 その中から一部抜粋。
「ぼくら子供は」
満州で戦争がはじまったのは
ぼくが中学一年の時だ
物がぼつぼつ上り出し
景気が良くなって来たらしい
「戦争が始まって良かったね」
大人達のつぶやきは
子供のぼくらの耳にも入った

やがて戦争で殺されるぼくらの――

 

 主人公は、自分が子供であった頃の社会のとらえ方は、人それぞれによって違う。現象的には様相が変化している今の社会について、私の今の年齢になったとき、もし「ぼくら子供は」という題で詩を書けば。何を書くだろうか。と語っている。
 小説の最後は、「それを思い出すとキリがないので、とにかく冷酒を一合飲んで、一寝入りすることにする。なんとも単調な生活である。」で終わっている。

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〇どうして『日本好戦詩集』は私にうったえるのか。と鶴見俊輔は書評にとりあげている。


「『戦争は悪い』という判断をたてて、それを自明の理とし、その上に判断をつみかさねてゆく考え方に、主人公とともに私も、うたがいをもつからだ。それでは、『戦争が悪い』という判断がくずれた時には、その上につみかさねられた判断が全部くずれてしまうではないか。


 私たちは戦争の上にのっている。戦争の中にいる。そこから、いやだと思うなら、いやだと思う戦争ととりくむ他はない。いやだという感情だけにぬりつぶされた一個の人格に自分がなるということはないはずだ。好戦・厭戦・反戦は、いりみだれて私の中にある。反戦ひとつに統一してそこから考えてゆくというのは、机上の推理、タタミの上の水練ではないだろうか。(中略)


 私は感情を固定することがいやだ。それでは生きていることを否定することになる。」(『鶴見俊輔書評集成 3』(みすず書房、2007)「日本好戦詩集」についてより)

 

 最後に小説などから促された私の感想を述べる。
 反戦・好戦・厭戦とは関係なく、戦争(絶対的ともいえる対立)などで根本的にものごとを解決しようとすること自体、個人的なことや国などの大きなレベルに至るまで、破壊技術の驚異的になった現状において、人としてあまりにも愚かであるという素朴な感情がある。

 

 ことばの獲得、語り合う、語り伝えることは、人として存続してきた大きな要因だろうと思っている。課題は、何故、何を、如何になど、語り継ぎたいと思っている自分自身も突き放してみるような複眼的な視点、謙虚さや明るさも大切な要素ではないだろうか。

 

 占領という条件の下にうまれた憲法は,第1項で「戦争の放棄」、第2項で「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めている。国民を戦争に引き出す力をすてた独特の国家としての性格をあたえた。この可能性を捨てるわけにはいかないという私の願いもある。

 

【参照資料・詩】
○古山高麗雄『日本好戦詩集』で紹介された中から二篇
・「出さなかった葉書」
兵隊から逃げて帰った
ドコソコの家の倅は
かくれていた桶の上から
憲兵にドンと撃たれたそうないくら嫌でも逃げられねえ
親兄弟まで後指さされて
金輪際逃げきれるわけも無く
一生就職もできなくなる軍隊は連隊とも言って
運の悪い奴が死ぬだけの事
皆が皆死ぬ事もないと
諦めてまァ毎日居るわけですましてこんな南の涯までやられてはね・「終戦」
なぜ戦争を止めただか
おらは一寸も負けちゃいねえ
負けたのは都会のやつらよさんざん奴らにばかにされ
糞尿につかって地べたを這い
米を買い叩かれ
娘は売られ
戦争になってからだ
どうやら作物は高く売れ
闇値で買手は多勢来る
タモトのついた娘っ子の着物やら
ビラビラした洋服なんぞと言うものが
紙幣と一緒に貯まって来る

この戦争はアメリカとの戦で無え
おれたち土百姓と
都会の奴らとの戦争だ
やっと戦に勝ったところで
なぜ戦争を止めただか

もう天皇陛下とは
言ってやらねえぞ
(古山高麗雄『二十三の戦争短編小説』「日本好戦詩集」文藝春秋、2001 より)

 

○『ガダルカナル戦詩集』について
Mr nuuさんのブログ『Courage !』「ガダルカナル戦詩集」に、詳しく紹介されている。
昭和20年2月、吉田嘉七著「ガダルカナル戦詩集」大木惇夫編が毎日新聞社より刊行された。『吉田嘉七君は、私がジヤワ作戦従軍中に偶々発見した「無名の詩人」で、一下士官であるが、鉄火の中から生れたその作品は胸打つものがある。同君はその後転進して今なほ南方最前線に奮戦してゐるが、ガダルカナル島激戦中にものした約四十篇の詩稿を最近私の許へ届けて来た。左の数篇はその中から抜粋したもの。』(大木惇夫)
この中の一篇より。
・「妹に告ぐ」
汝が兄はここを墓として定むれば、
はろばろと離れたる国なれど
妹よ、遠しとは汝は思ふまじ。
さらば告げむ、この島は海のはて
極れば燃ゆべき花も無し。
山青くよみの色、海青くよみのいろ。
火を噴けど、しかすがに青退めし、
ここにして秘められし憤り。
のちの世に掘り出なば、汝は知らん、
あざやかに紅の血のいろを。
妹よ、汝が兄の胸の血のいろを。

 Mr nuuさんは次のように語っている。
「この詩集は、全編にわたり愛国心と厭戦が交差する一兵隊の心情が素直に表われていて、胸がつかれる。 戦争中、高村光太郎や室生犀星など多くの詩人が戦争詩(愛国詩、時局詩、銃後詩をひっくるめて)を書いた中では、この「ガダルカナル戦詩集」は異彩を放っているといえるだろう。」
 吉田嘉七は、この本の『創作・発表覚え書』の中で、こう書いている。「兵隊とは、つまり庶民である。庶民が軍服を着せられ、銃を持たされたのが兵隊である。何時の時代も一部の者の仕掛けで、大多数の庶民は辛酸をなめる結果が待っているのですが、庶民の感情や善意は、その時の権力者に利用されやすいものだ。」

※初出2015-06-14