日々彦・詩歌句とともに

主に俳句、付随して詩歌などの記録

◎荒井千佐代さんのこと

○月刊「俳句界」12月号特集「たくさんのいのり」の中の《私の「いのり」》より

殉教・被爆の地に生まれ 荒井千佐代(「沖」「空」)

 カトリックの幼児洗礼を受けた私は、幼い頃から祈りの環境の中にいた。祈る事は生活の一部であり、聖歌を歌う事、ミサオルガンを弾く事も生活の一部だった。それらは当然のことながら祈りの一形だ。俳句も私にとっては祈りに似ている。昨年出版した拙句集『黒鍵」360句。殊更選び出さなくとも大方が祈りを込めた句で、殉教、被爆、途上国の貧困、周囲の亡くなった方々へ捧げる句が散在する。無意識の選句での一集であるのだが。

★初日受く殉教・被爆の地に生まれ

 1597年秀吉のキリシタン弾圧政策による二十六聖人の殉教。1622年信徒と神父合計55名が西坂で火刑と斬首により処刑された元和の大殉教。更には、第二次世界大戦末期の1945年8月9日、アメリカが長崎へ原爆投下。死者約七万四千人、重軽傷者約七万五千人。現在も被爆者認定を巡る裁判が行われ、苦しみは止まない。宗教弾圧も核兵器使用も決して許されない。長崎に生まれ育った者として、願いを込め、りを込めた。

★爆死者の墓の幾万鶴引けり

★祈りめく引鶴の数かぞふるは

★引く鶴を野辺の送りのやうに見る

 原爆の炸裂した空を、鶴は鹿児島出水へ渡り、また春には帰る。数多の爆死者の墓の上を。どうか、怪我や病気で一羽も欠けることなく繁殖地へ辿り着くようにと祈る。生涯で一会の鶴かと、万感胸に迫ること都度である。

★殉教の灘を足下にラムネ飲む

長崎の其処此処にある殉教の断崖。眼前の碧い海、空。私は何時しか殉教者を忘れ、ラムネをグイと。「人間がこんなに哀しいのに主よ海があまりに碧いのです」と遠藤周作の「沈黙」の碑文。「哀しい」を今一度噛み締める。

★ルピナスや日々の飽食罪に似て

★途上国思はば食も暖房も

★磔の主の腰布や春の雪

 総て日頃心に痞えている事。飲食を過ごす、寒ければ暖め、暑ければ冷やしと。そうしないと熱中症になるが。飢えや貧困で死に直面している子供達の痩せ細った体や顔が浮かぶ。せめて私にできる事をと、困っている方々への〈みんなの食堂〉を手伝う事に。雪中の腰布一枚の主は何を言おうとしているのか。

★聖堂とふ方舟にゐて原爆忌

★麦の芽や先に許せば許さるる

私にとって、聖堂は方舟。安心しきって幸せを感じる所。さて現在、戦争や紛争をしている国や地域は十を超える程か。決して少なくはない、いや何と多いことか。人間一人ひとりの心の有り様など、無関係な事とも思う。が、「麦の芽」ほどの善や悪が発端となり大事に至ることもある。せめて愛を優先させることができればと、己を顧みること頻りだ。

★噴水に被爆二世が手を浸す

★刑務所の遺壁や夜蟬鳴きやまず

 「のどが乾いてたまりませんでした。水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくてとうとうあぶらの浮いたまま飲みました」。平和公園噴水正面の石碑に刻まれた少女の手記である。現今、清潔な水に囲まれている被爆二世の私。他の噴水と同じようにコインの沈んだ静かな泉に恐る恐る手を浸す。くっきり見える我が手に改めて平和の尊さを実感する。第二句。厚い刑務所の遺壁に言葉を失う。蟬も短い命を鳴き尽くす。八月、正に"祈りの長崎”である。

 

荒井千佐代句集『黒鍵』

殉教・被爆の地、長崎に生まれた著者は教会のオルガン奏者として弾き、歌い、祈りながら、心と言葉を研ぎ澄ませてきた。一集を貫く精神世界は深く、尊い。第四句集。

◆栞より

身の裡に断崖のあり雪しんしん

永遠でなきゆゑ励むヒヤシンス

千佐代さんは身に負ったものを引き受け、目を逸らすことなく、むしろその重圧に耐えることで己を律してきたのだろう。それは降りしきる雪の「断崖」として見えている。『黒鍵』には、「永遠でなきゆゑ励む」作者のたましの軌跡が綴られている。(井上弘美)

◆自選12句

雛流す雛の髪をととのへて/爆死者の墓の幾万鶴引けり

螢を握りすぎたり死なせけり/主に罪を負はせて真夜の髪洗ふ

炎天を来て夭折の葬を弾く/臥す人に萩刈る音も障るなり

レコードに針を置く音冬銀河/鳩舎へと遅れて一羽クリスマス

除夜の潮さかのぼりをる被爆川/磔の主の腰布や春の雪

白鍵に黒鍵の影凍返る/永遠でなきゆゑ励むヒヤシンス

◆あとがきより

〝この聖堂で、このオルガンで詠もう″と心に誓って蓋を開け、譜面台に伴奏譜を立て、鍵盤に指を置いた瞬間、白鍵に黒鍵の影がくっきりと。長年同じ行為を繰り返していたのに、初めて目に留め、心を打たれ、〝俳句は授かりもの〟という言葉を改めて思いました。

※荒井千佐代句集『黒鍵』(朔出版、2022)

 

○12/8NHK俳句。題「聖夜」、選者は西山睦さん、ゲストは荒井千佐代さん、より

★海原のけふきらきらと冬椿  西山 睦

神父さんが亡くなられたときのこと、その時荒井さんの手には冬椿。オルガンを教会で弾き始めた時に、「俳句も始めてみては?」と神父さんに勧められたのだそうです。

◎荒井さんの「俳句三選」

★(忌)鍵盤のひとつ沈みて原爆忌 

 鍵盤の一つが沈んだまま上がってこない時がある。人の生命も一度なくなれば二度と…。

★(灯)オルガニストのみに灯や降誕祭 

降誕祭のときにはたくさんの灯を持って会衆が入場するのだという。そういう暗い荘厳な中でオルガンを弾く荒井さんの所では譜面を照らすためだけの灯があるのだという。

★(影)白鍵に黒鍵の影凍返る 

何十年もオルガンを弾いているのに、この時、黒鍵の影の濃さを初めて感じたという。その印象をどうしても句にしておきたかったと荒井さんは言う。

荒井さんは《俳句には心を浄化してくれる力がある》と言う。《心が濁ったり暗くなった時、何かを一句にしようとしていると少し心が浄化する》と言う。

 

【荒井千佐代さん】昭和24年長崎市生まれ。平成3年「沖」入会、平成10年、第一句集『跳ね橋』上梓。翌11年、『跳ね橋』により長崎県文学新人賞受賞。平成12年「系図」50句にて第三回朝日俳句新人賞受賞。平成14年、第二句集『系図』上梓。平成15年「空」入会、同人。平成21年「沖」賞受賞。平成22年、第三句集『祝婚歌』により第25回長崎県文学賞受賞。昨年第四句集『黒鍵』上梓。俳人協会幹事。長崎県文学俳句部門選者、長崎新聞「きょうの一句」選者。教会オルガニスト。被爆地の長崎で祈りの俳句を詠み続けている。