・「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」
それはながい間
私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、
自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
劫初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。
その人たちは
どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだったり
くろい昆布だったり
たたきつぶされた魚だったり
台所では
いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意のまえにはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。
ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など
繰り返せたろう?
それはたゆみないいつくしみ
・「顔」会議室にて
机の前にたくさんの顔が並んでいる。
血のかよっている
笑ったり怒ったり話したりする顔
いつかみんないなくなる顔
とじられる目
つめたくなる唇
からっぽのがいこつ、
けれど永久になくならない
次々と生まれてくる顔
やがては全部交替する顔
それをじっとみまもっている
その交替をあざやかにみている眼――
それがある、きっと。
それが誰だかわからない
ひとり、たしかにひとりいるのだが。
「私はこの頃」
海に最後の潮が満ちたとでもいうのか
両手の中にたっぷりとくる乳房のおもみよ
りんごは今がとりごろ
魚なら秋のさんま
キラキラと油の乗った食べざかり
(ふと醒めて、ほかでもない、私はあたたかい自分の肉
体にびっくりする)
これはいのちあるものの
やがては滅びゆくものに与えられたいのちのまっ盛り
木々に風そよぐごとく
花びらに露光るごとく
やがては枯れ、やがては散る
生けるもののただひとつの季節
この美しい陽の照るきわに
花はどのように散り
木はどのように実るのであろうか
私はこのごろ不安な心で
滅びの支度について、考える――。
・「シジミ」
夜中に目をさました。
ゆうべ買ったシジミたちが
台所のすみで
口をあけて生きていた。
「夜が明けたら
ドレモコレモ
ミンナクッテヤル」
鬼ババの笑いを
私は笑った。
それから先は
うっすら口をあけて
寝るよりほかに私の夜はなかった。
・「表札」
自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。
自分の寝泊りする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。
病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様が付いた。
旅館に泊っても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼場の鑵(かま)にはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
そのとき私がこばめるか?
様も
殿も
付いてはいけない、
自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。
精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。
・「くらし」
食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙。
・「貧しい町」
一日働いて帰ってくる、
家の近くのお惣菜屋の店先きは
客もとだえて
売れ残りのてんぷらなどが
棚の上に まばらに残っている。
そのように
私の手もとにも
自分の時間、が少しばかり
残されている。
疲れた 元気のない時間、
熱のさめたてんぷらのような時間。
お惣菜屋の家族は
今日も店の売れ残りで
夕食の膳をかこむ。
私もくたぶれた時間を食べて
自分の糧にする。
それにしても
私の売り渡した
一日のうち最も良い部分、
生きのいい時間、
それらを買って行った昼間の客は
今頃どうしているだろう。
町はすっかり夜である。
・「坂道」
若い詩人が
石垣さんに詩集の序文をたのんで
断られましたと
黒田三郎さんに告げたら
おりんちゃんに
そんなことたのんでは可哀相だ
と答えたそうだ。
黒田さんは私をよく知っているから
ほんとうに有難いと思った。
ある集会で
はじめて会った小学校の先生が
二次会果てた後も話し続け
こんなこと
なんですが
とためらいながら
黒田先生がおりんちゃんは
下り坂だとおっしゃってました
あ
ごめんなさい
言わないほうが良かったかしら
と付け足した。
それは
黒田さんが言うのだから
当っているに違いないと思い
有難かった。
あれからずっと
私は下り坂を来ている。
振り返ると
坂の上で黒田さんが
手を振っている。
・「夜道」
足音の近づくとき
こおろぎが鳴きやむ
何もそんなに
人が通ったからといって
鳴きやむこともあるまい、
と思いながら
足音高くゆけば
パッタリ
忍んで通れば
虫のほうも考え深げに
とにかく黙ってしまう
そう黙られては
まるで私が
権力者のようではないか
とつぶやき
抱えこんでいるのは風呂の道具
握りしめているのは釣り銭
にすぎない
と、虫の大衆に語りかける。
・「たそがれの光景」
私が三十年以上働いてきたのは
家族が最低の生活を営む
その保障のためでした。
私の持ち帰る月給が
ケンポーの役割を果たしてきたと
思っています。
でも第二十五条の全部ではありません。
月給袋が波間に浮かんだ小舟の
舟底のように薄くて。
不安な朝夕を流れ流れて。
戦火も飢餓もきりぬけました。
このちいさな舟に乗り合わせた人たちを
途中でおろして
どうして私が未来とか希望とかに向かって
船出することができたでしょう。
長い間漕ぎつづけましたが
文化的な暮しは
そんなやすらかな港は
どこにもありませんでした。
当然の権利、と人は言いますが。
力の強い人たちによって富もケンリも独占され
貧しく弱い者はその当然のものを
素手で勝ちとるほかない
さびしい季節に生まれました。
もういちど申します。
最低限度の生活を維持したいのが
私の願いでした。
国はそれを保障してくれたことがありません。
国とは何でありましょう。
おかしな話になりましたが
その単純さで
ケンポーは自分のものだと思っています。
望遠鏡のむこうで
第二十五条がたそがれてきました。
けれど引き返すことのできない目的地です。
もうひといきです。
私は働きます。