〇山尾 三省 (著), 山下 大明 (写真)『水が流れている―屋久島のいのちの森から』から
・山尾三省・詩「水が流れている」
水は どこにでも流れているが
その水が ほんとうに
真実に流れることは あまりない
多くの時には
水はただ流れているだけで 真実に流れることはない
水が私になる時
水ははじめて 真実に流れるのであるが
水は 私にならないし
私は なかなか水にはならない
私たちは ほんとうは
かっては水であり 水として流れ
水として如来したものたちであった
私たちは ほんとうは
今も水であり 水として流れ
水として如来しているものたちである
水は 流れ去り 流れ来る
億の私たちであり ただひとりの私である
森の底を
水が流れている
深い森の底を 深い真実の
水が 流れている
※山尾 三省 (著), 山下 大明 (写真)『水が流れている―屋久島のいのちの森から』(野草社、 2002)
「屋久島の深い森をはぐくむ豊かな水の恵み。島に暮らし、自らの生を見つめつづけた詩人と、森に通い、いのちの時間を撮りつづける写真家。二人の作品が織りなす美しい「水」への讃歌集。」
〇山尾三省『びろう葉帽子の下で』から
・詩「火を焚きなさい」
山に夕闇がせまる
子供達よ
ほら もう夜が背中まできている
火を焚きなさい
お前達の心残りの遊びをやめて
大昔の心にかえり
火を焚きなさい
風呂場には 充分な薪が用意してある
よく乾いたもの 少しは湿り気のあるもの
太いもの 細いもの
よく選んで 上手に火を焚きなさい
少しくらい煙たくたって仕方ない
がまんして しっかり火を燃やしなさい
やがて調子が出てくると
ほら お前達の今の心のようなオレンジ色の炎が
いっしんに燃え立つだろう
そうしたら じっとその火を見詰めなさい
いつのまにか --
背後から 夜がお前をすっぽりつつんでいる
夜がすっぽりとお前をつつんだ時こそ
不思議の時
火が 永遠の物語を始める時なのだ
それは
眠る前に母さんが読んでくれた本の中の物語じゃなく
父さんの自慢話のようじゃなく
テレビで見れるものでもない
お前達自身が お前達自身の裸の眼と耳と心で聴く
お前達自身の 不思議の物語なのだよ
注意深く ていねいに
火を焚きなさい
火がいっしんに燃え立つように
けれどもあまりぼうぼう燃えないように
静かな気持で 火を焚きなさい
人間は
火を焚く動物だった
だから 火を焚くことができれば それでもう人間なんだ
火を焚きなさい
人間の原初の火を焚きなさい
やがてお前達が大きくなって 虚栄の市へと出かけて行き
必要なものと 必要でないものの見分けがつかなくなり
自分の価値を見失ってしまった時
きっとお前達は 思い出すだろう
すっぽりと夜につつまれて
オレンジ色の神秘の炎を見詰めた日々のことを
山に夕闇がせまる
子供達よ
もう夜が背中まできている
この日はもう充分に遊んだ
遊びをやめて お前達の火にとりかかりなさい
小屋には薪が充分に用意してある
火を焚きなさい
よく乾いたもの 少し湿り気のあるもの
太いもの 細いもの
よく選んで 上手に組み立て
火を焚きなさい
火がいっしんに燃え立つようになったら
そのオレンジ色の炎の奥の
金色の神殿から聴こえてくる
お前達自身の 昔と今と未来の不思議の物語に 耳を傾けなさい
※山尾三省『びろう葉帽子の下で―山尾三省詩集』(野草社1993 )
「詩あるいは歌は、絶望に耐え得る希望あるいは祈りとして太古以来形づくられ続けてきた。日常でありながら非日常的な特異な時間をつづった詩集。」