〇ワーズワースの詩「虹」(平井正穂 訳)
私の心は躍る、大空に、
虹がかかるのを見たときに。
幼い頃もそうだった、
大人になった今もそうなのだ、
年老いた時でもそうありたい、
でなければ、
生きている意味はない!
子供は大人の父なのだ。
願わくば、
私のこれからの一日一日が、
自然への畏敬の念によって
貫かれんことを!
・「THE RAINBOW」または「My heart leaps up」-William Wordsworth
My heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky.
So was it when my life began;
So is it now I am a man;
So be it when I grow old,
Or let me die!
The Child is father of the Man;
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.
※ウィリアム・ワーズワース(1770-1850)イギリスの代表的なロマン派詩人。
・鶴見俊輔『期待と回想』(朝日文庫、2008年)から。
〈「この〔ワーズワースの詩〕の中の “The Child is father of the Man”というところ、「子どもは成人した大人の父親だ」。これをワーズワースが意味したものとして垂直に読めば、人間の中には幼年期がいつも生きているということでしょう。
だが、私はそういうふうに読まないんです。「自分の生み育てた子どもは自分の父親だ」と読める。これは意味を横に揺すぶっているんですが、それが私の読み方なんです。概念を垂直に読むのはいいでしょう。だが、それがただひとつの正しい読み方だとして読むところには自由はないですよ。
概念は一つの場であり、新しいきっかけにすぎないんです。それを、曖昧さと粗雑さの幅の中で、自由に自分の想像力の海の中に投げこんで、別のものにして生かす。ワーズワースの一句をこのように読むことで、それは私の中に生きています。
言葉はきっかけで、自分自身のいまの暮らしの中でそれに意味づけするんですから、これは唯名論の世界なんです。無茶な読み方で誤解する権利なんです。学者じゃないからできる。丸山眞男から見れば当然破門されるものなんですね。〉
※ワーズワースの詩「虹」として有名だが、原文では「My heart leaps up」(私の心は躍る)となっているものが多い。(この辺の事情はわたしにはわからない)英語では、両方掲載した。
「And I could wish my days to be/Bound each to each by natural piety.」は、壺齋散人訳では、「だから私は少年の頃の/ 敬虔な気持を持ち続けたい」となっている。
わたしは、この詩の主題は、「虹」というよりも「My heart leaps up」(私の心は躍る)だと思う。年老いたときでも、「心は躍る」気持ちを持ち続けたい。ではないだろうか。