◎書評:照井翠・句集『龍宮』(角川学芸出版、2013)
東日本大震災は、文芸の各分野に、それを語る表現についての様々な課題をもたらし。俳句関係者(誌)も度々そのことを取りあげている。また、いろいろな体験や関心から多様な俳句が数多く生み出されている。
このようなことを表現するとき、濁流している橋の上からではなく、共に濁流に乗るところからの表現が必要ではないかという人もいる。確かにそれは大事なことであるが、多様な関わり、表現の自由度を狭めたくないとも思っている。
時事や厄難を詠むに不向きといわれてきた最短詩型の俳句に、むしろ可能性を感じている他分野の人たちもでてきている。趣味の範囲を出ない私にも、俳句はこんな風に詠むことで、深いものを表現することができるのかと、改めて感じている。
その中で、深い感動を覚え、大震災の記憶をとどめておきたいものとして照井 翠さんの句集『竜宮』から、いくつかの句を私なりにみていく。照井 翠は岩手県釜石市在住の俳人、県内の高校で長く国語教師を務める。東日本大震災では、岩手県立釜石高校で被災、1ヶ月間体育館と合宿所で生活した。
句集の題名『龍宮』は、「昔話の浦島太郎に出てくる龍宮城があるなら、そこで津波の犠牲になった人たちが、もう1つの人生を幸せに送ってくださいという鎮魂の思いが込められている」とある。
・〈卒業す泉下にはいと返事して〉
泉下(せんか)」とは、黄泉の下、死者の行く所、あの世のことだ。今回の震災と津波で教え子を亡くされている。震災後の卒業式で一人ひとり名前を呼ぶ。そうすると向こう側の世界から「はい」と返事がある。はじめてこの句に触れた時、いたたまれない思いが湧いてきた。
・〈寒昴たれも誰かのただひとり〉
寒昴は、真冬の冬空を飾る星座としてオリオンと並び賞される牡牛座のこと。『枕草子』
に「星はすばる」とあげられ、古来から親しまれていて、俳句の季語としてもよく使われる。
この句は、星座をなしている星の一つひとつが違っているように、死者2万人という抽象的な数字ではなく、一人ひとりのたれもが誰かの欠けがいのないたった一人の人である。一つ一つ光り輝いているが、遙かに遠いところに行ってしまった。というような感じもある。
・〈春の星こんなに人が死んだのか〉
池澤夏樹はCoyote's Journey「世界が共有するもの」の、作家や翻訳家が国を超えて語り合う日本初の国際文芸フェスに寄せたメッセージでこの句を次のように紹介している。
「この詩人は夜の空を見上げます。そこにたくさんの星が見える。その一方で詩人は、あの津波で二万人が亡くなったということを知っている。数字は知っているけれど、亡くなった一人一人を知っているわけではない。二万人の死者というのは抽象的で、一人一人の死としてとらえることができない。しかし夜の空を見上げて、あの星がみな死者だとしたら、数えられない数だとわかる。そして夜の星は非常に遠いところで手が届かない。もう手の届かないところに行ってしまったが美しい。そういうことが全部、一句の中に凝縮している。俳句の原理は二つの事象を結びつけることにある。一つは自然界、もう一つは自分の心の中。その二つの間に呼応関係が生まれ、そこから一つの感慨が生じる。照井さんはあの震災の悲劇をこういうふうに表現しました。これからもずっと続けられる営みです。」
・〈初蛍やうやく逢いに来てくれた〉
伊勢物語などの古典、和歌から小林秀雄まで、蛍のはかない輝きに「もののあはれ」を感じ取り、その神秘性に引かれ、自分の偲ぶ人をみたてていく心の動きがある。群れ飛ぶ蛍は人の魂でもあり、その幻想的な中から、ようやく一匹、自分のところに来てくれた、きっとこの蛍が大事な人だったに違いない。何んとも懐かしいようなことに思われた。その心の移ろいを詠んだのではないだろうか。
・〈泥の底繭のごとくに嬰と母〉〈双子なら同じ死顔桃の花〉
俳句はたった17音の定型詩で、多くを語らず、省略、切断することによって、余白が生まれる。決して作者の思いを押しつけたりせず、その事実のみを付かず離れずのもの(季語)と結びつけることで思いがけない効果を生み出すこともある。
池澤夏樹は「俳句はこんな風に辛いことも表現できるのか。哀切の思いは深いが、それでずぶずぶと崩れるのではなく、きちんと客観化されている。⋯--何か中から律するものがある。」と語っている。(『詩のなぐさめ』岩波書店、2015より)
・〈柿ばかり灯れる村となりにけり〉〈しら梅の泥を破りて咲きにけり〉
自然に打ちのめされた後ですら、自然のいのちの力を愛でることを忘れない。被災者からの俳句で、花鳥風月や季語などが癒しの効果をあげているのも多々見られる。ある文章の中で、「被災した街の星空がこれまでに見た星空の中で一番美しい星空です」などのことも報告されている。人の計らい、生死のあわいを超えたところで、長い月日をかけて育まれてきた自然界のもの(季語)が次第に象徴性を帯びていく。
・〈気の狂れし人笑ひゐる春の橋〉〈鰯雲声にならざるこゑのあり〉
『龍宮』のあとがきは、次のように結ばれている。「死は免れましたが、地獄を見ました。震災から一年半、ここ被災地釜石では何ひとつ終わってないし、何ひとつ始めってないように思われます。いまだ渦中にあります。しかし生きてさえいれば、何とでもなる、そしてどんな夢も叶えられると信じています」
※照井 翠(1962年生):岩手県花巻市出身。岩手県釜石市在住。岩手県内の高校で長く国語教師を務める。現在「寒雷」「草笛」同人、現代俳句協会会員。
・現代俳句協会のHP「現代俳句協会賞・平成25年特別賞」で、照井 翠『龍宮』自選五十句を詠むことができる。http://www.gendaihaiku.gr.jp/prize/kyokai/
【参照資料】
〇照井翠・句集『龍宮』「あとがき」
転勤により暮らしていた釜石市で東日本大震災に遭遇し、被災したことで、私の精神世界は激しく揺さぶられ、ひたすら生と死を見つめる日々を送ることになりました。以来、人の死に寄り添い、祈り、感謝する日々のなかから生まれ出た句を柱に据え、未熟ながらも一人の人間として、津波による無念の死を迎えざるを得なかった数多くの方々への鎮魂の思いを込めて、この一集を編むことを決意いたしました。
二〇一一年三月十一日、地震の前兆の不吉な地鳴り。まるで数千の狂った悪魔が地面を踏みならしているかのよう。地鳴りに続く狂暴な揺れ。ここで死ぬのか。次第に雪がちらついてきた。数十秒ごとに襲う激しい余震、そして誰かの悲鳴。避難所となった体育館は底冷えがする。大音量のラジオから流れてくる信じ難い津波被害と死者の数。スプリングコートをはおっただけの身体をさする。誰かが灯してくれた蠟燭の揺らめきをぼんやりながめる。それにしても今夜の星空は美しい。怖いくらい澄みきっている。何か大きな代償を払うことなしには仰ぐことが叶わないような満天の星。このまま吸い込まれていってしまいたい。オリオン座が躍りかかってくる。鋭利な三日月はまるで神だ。
避難所で迎えた三日目の朝、差し入れられた新聞の一面トップに「福島原発 放射能漏れ」という黒い喪の見出しと信じ難い写真。ああだめだ、もう何もかも終わりだ。こうしてはいられない。避難所を出、釜石港から歩いて数分の、坂の中腹にある我がアパートを目指す。てらてら光る津波泥や潮の腐乱臭。近所の知人の家の二階に車や舟が刺さっている、消防車が二台積み重なっている、泥塗れのグランドピアノが道を塞いでいる、赤ん坊の写真が泥に貼り付いている、身長の三倍はある瓦礫の山をいくつか乗り越えるとそこが私のアパートだ。泥の中に玉葱がいくつか埋まっている。避難所にいる数百人のうな垂れた姿が頭をよぎる。その泥塗れの玉葱を拾う。避難所の今晩の汁に刻み入れよう。
戦争よりひどいと呟きながら歩き廻る老人。排水溝など様々な溝や穴から亡骸が引き上げられる。赤子を抱き胎児の形の母親、瓦礫から這い出ようともがく形の亡骸、木に刺さり折れ曲がった亡骸、泥人形のごとく運ばれていく亡骸、もはや人間の形を留めていない亡骸。これは夢なのか? この世に神はいないのか?
この様な極限状況の中で私が辛うじて正気を保つことが出来たのは、多分俳句の「虚」のお陰でした。私には、長年俳句の「虚実と」と向き合ってきた積み重ねがありました。加えて、師である加藤楸邨先生が試みられたように、私もシルクロードを初めとする世界の辺境を歩き、日本とは異質な風土を俳句に詠むという訓練も積み重ねてきておりました。
震災後の混乱と混沌のなか、自分自身すら見失いかけていた私は、自らの「本当の物語」を再構築し、「本当の自分」を捉え直す必要を強く感じました。その時、私を助け、救い、導いてくれたのが俳句でした。辛く悲惨な経験も、時間の経過とともに夾雑物が取り除かれ、いつしか俳句に昇華していきました。この『龍宮』を纏める前に私はホチキス留の手作りの震災鎮魂句集『釜石①』『釜石②』を製作し、ご支援をいただいている方々にお配りしました。
死は免れましたが、地獄を見ました。震災から一年半、ここ被災地釜石では何ひとつ終わってないし、何ひとつ始めってないように思われます。いまだ渦中にあります。しかし生きてさえいれば、何とでもなる、そしてどんな夢も叶えられると信じています。
二〇一二年九月 震災から一年半 月の輝く釜石にて 照井翠
【参照資料】
〇照井 翠『龍 宮』自選五十句
喪へばうしなふほどに降る雪よ 津波より生きて還るや黒き尿
泥の底繭のごとくに嬰と母 双子なら同じ死顔桃の花
春の星こんなに人が死んだのか なぜ生きるこれだけ神に叱られて
毛布被り孤島となりて泣きにけり 津波引き女雛ばかりとなりにけり
朧夜の泥の封ぜし黒ピアノ つばくらめ日に日に死臭濃くなりぬ
石楠花の蕾びつしり枯れにけり 気の狂れし人笑ひゐる春の橋
もう何処に立ちても見ゆる春の海 しら梅の泥を破りて咲きにけり
牡丹の死の始まりの蕾かな 春昼の冷蔵庫より黒き汁
三・一一神はゐないかとても小さい 唇を嚙み切りて咲く椿かな
漂着の函を開けば春の星 ありしことみな陽炎のうへのこと
花の屑母の指紋を探しをり 卒業す泉下にはいと返事して
骨壺を押せば骨哭く花の夜 屋根のみとなりたる家や菖蒲葺く
ほととぎす最後は空があるお前 蜉蝣の陽に透くままに交はりぬ
初螢やうやく逢ひに来てくれた 蟇千年待つよずつと待つよ
同じ日を刻める塔婆墓参 流灯にいま生きてゐる息入るる
大花火蘇りては果てにけり 人類の代受苦の枯向日葵
片脚の蟻くるくると回りをり すすきに穂やうやく出でし涙かな
鰯雲声にならざるこゑのあり 柿ばかり灯れる村となりにけり
死にもせぬ芒の海に入りにけり 半身の沈みしままや十三夜
廃屋の影そのままに移る月 迷ひなく来る綿虫は君なのか
雪が降るここが何処かも分からずに 太々と無住の村の青氷柱
釜石は骨ばかりなり凧 寒昴たれも誰かのただひとり
春の海髪一本も見つからぬ 浜いまもふたつの時間つばくらめ
亡き娘らの真夜来て遊ぶ雛まつり なぜみちのくなぜ三・一一なぜに君
ふるさとを取り戻しゆく桜かな 虹の骨泥の中より拾ひけり
◎照井翠の新句集『泥天使』(コールサック社 、2021年)刊行される。
句集『龍宮』、エッセイ集『釜石の風』、句集『泥天使』、照井翠の「震災三部作」が完成。
《高校の国語教諭である照井さん(現北上翔南高教諭)は震災時、勤務先の釜石高で被災。避難所となった同校で、自宅や家族を失った生徒、住民らと約1カ月間、避難生活を共にした。
被災直後から移り変わる季節ごと目にした光景や湧き起こる感情を言葉に紡ぎ、震災を俳句で表してきた照井さん。震災句集第2弾となる「泥天使」は全8章の構成で、奇数章に「龍宮」以降の震災詠、偶数章に〝コロナ禍〟の今を含む日常詠、計408句を収めた。
前作から8年が経過する中で生み出された震災句は「直後の生々しさにフィルターがかかり、ろ過されてよりピュアな部分が出てきた」と説明する。時の流れは、直後の混乱で理解しきれなかったことも「今なら分かる」というように思索を深め、「それが作品の結実につながっていった」と明かす。
「寄するもの容るるが湾よ春の雪」「蜩や海ひと粒の涙なる」―津波から数年後に生まれた句。「海を憎むだけだった以前には絶対詠めなかった句。時がたったからこそ本質を捉え、凝縮して表現できたところがある」
震災10年にあたり「詩(俳)人の端くれとして、自分なりに震災に向き合ってきたつもり。今回の句集はその総決算。全てを出し切った」と照井さん。
今後、震災の風化がさらに進むことは確実。自身の句集を「紙の石文(石碑)」と称し、「折りに触れ、忘れかけた時にひもといてもらえば、震災の大変さ、揺れ動く気持ちを感じてもらえるのではないか。多くの人の心に届くといい」と思いを込める。(復興釜石新聞より)》
『泥天使』より
「三・一一死者に添ひ伏す泥天使」「別々に流されて逢ふ天の川」「蜩や海ひと粒の涙なる」「人吞みて光の春となりにけり」「三月を喪ひつづく砂時計」「抱いて寝る雪舞ふ遺体安置所で」「海嘯の万のマフラー巻去りぬ」「千年も要さぬ風化春の海」「降りつづくこのしら雪も泥なりき」「三・一一みちのく今も穢土辺土」