日々彦・詩歌句とともに

主に俳句、付随して詩歌などの記録

◎仲寒蟬「句集」より

○『巨石文明』(2014)所収より

★蕗の薹空が面白うてならぬ

★行き過ぎてから初蝶と気付きけり

★つばくらめこんな山奥にも塾が

★コスモスや死ぬには丁度いい天気

★ペンギンのやうな遠足ペンギン見る

 

○『全山落葉』より

仲寒蟬といえば、ヒューマニスティックな作品を発表する人としての印象が一部には強いか。時に国家の介入に怒り、また時に万年筆・ワイン・音楽、そして猫への偏愛を語り……。人はあれこれ彼の印象を語るが、私にとって寒蟬は、共に俳句を共通の言語として歩んできた闘士だ。ただ、このたびの『全山落葉』では、まずは自然の中にたたずむ寒蟬に注目した。

 

切株のまだ新しき寒施行/ 雁風呂や水平線が湯の高さ/ 詩集より句集明るし桐の花/ 骨なんともろき音立て若葉風/ 国家からすこし離れて葱坊主

 

前の二冊の句集に比べ、『全山落葉』はタイトルの成り立ちからして、かなり印象が異なる。現実から三センチ浮いていた『海市』、壮大なる『巨石』に対し、かつてたしかにあった鎌倉という時代に、著者は現代にあって思いを馳せる。それまでの作者が心を自由に遊ばせていた時代から、人生の晩秋へさしかかったという感慨が、この書名を無意識に選ばせたのではないかという気さえしてくる。そう、第一・第二句集の頃の、作品の上では遊び、実生活では変わらず医師としての仕事を全うしていた時期を過ぎ、第三句集では堂々たる自然との、自分との対峙を得た。

 

どこにでもゐる小林と野焼見に/ この町に暗室いくつつばくらめ/ 紙魚になりたし幾万の書をめぐり/ 成人の日のスリッパのすぐ脱げる/ 座敷遺影にしては嬉しさう/ 花を見ぬ一団のあり花の山

 

俳句を始めた時はまだ30歳台だったがいつのまにか定年退職の年となってしまった。この間、父が亡くなり俳句の師であった大牧広先生が亡くなった。二人の死の翌年から新型コロナ感染症によるパンデミックが世を覆い、自分も含めた社会的、文化的活動が停滞した。それでも立ち止まる訳にはいかず「牧」と「平」二つの俳誌を立ち上げて活動してきた。生きる支えとしての俳句の有難さ、人間社会に対する批判精神としての俳句の役割をあらためて実感する毎日であった。

ポスト・コロナがどういう時代になってゆくのか、俳句はどう変わってゆくのか、現時点ではよく分からない。ウクライナ侵攻という信じられない暴挙が国際社会の不確実性を浮き彫りにしたが、温暖化やエネルギー問題もそれと無関係ではない。いっそ全山落葉してゼロから再出発した方がいいのかもしれない。

※櫂未知子さんの栞文や「あとがき」を抜粋して紹介。

 

○仲寒蟬『全山落葉』評「踏みにじる菫は戦車から見え」ぬ時代 (下)筑紫磐井より。

当局の者とおぼしき黒外套/誘蛾灯有害図書を売る店に/助走から記録の予感夏の雲/緑陰の献血車から白き足

世界史に悪妻多し曼殊沙華/百足より叫びし顔のおそろしき/見るほどの裸ならねど見てしまふ/水中り世界が終わりさうな顔/埋蔵金永遠に隠して花の山

 

わが去りし席が消毒され西日/さうあれは春の風邪から始まった

踏みにじる菫は戦車から見えず/この茂り戦車かくしてゐはせぬか

かつてダンディー枯れ放題に父の髭/秋灯や母ゐてこその父の家/独活の香や父のわがまま母にだけ/父でなく老人五月闇の奥

 

白魚や死ぬとは濁ることにして/死して出ることも退院寒月光/うららかやあくびのごとく人吐く駅/上空に無駄な雲ある炎暑かな/真っ直ぐに来し台風と渋谷で会ふ

海女にして人の祖なり花海桐/いつ影と入れ替わりしや夏の蝶/落ちてどこかへ成人の日の画鋲/廃業と決まりし店の夜なべの灯

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仲寒蟬(なか・かんせん)さんの第3句集となる。仲寒蟬さんは、1996年「港」俳句会に入会、大牧広に師事。2005年第50回角川俳句賞受賞。「港」終刊後は、2020年「牧」「平(ふらっと)」の創刊代表となる。現在は、「牧」「平」代表。「群青」同人。現代俳句協会会員、俳人協会会員。第1句集『海市郵便』(2004年刊)で、山室静佐久文化賞受賞。第2句集『巨石文明』で、第65回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞されている。第3句集となる本句集は、第2句集以後の10年間の作品を収録したものであり、櫂未知子さんが栞文を寄せている。